
2026.02.10

何かが終わったあと、
すぐに次が始まるとは限らない、ということを
いつからか実感するようになった。
役割が外れ、
呼ばれていた名前を使わなくなり、
それでも生活だけは、何事もなかったように続いていく。
忙しさが消えたわけでも、
不安が消えたわけでもない。
ただ、「今の自分は何者なのか」と聞かれると、
少し言葉に詰まる。
そんな時間が、確かにあった。

何もしていないようで、
実は、いろいろなものが静かに外れていく。
肩書きや役割、
自分でも無意識に背負っていた期待。
それらが少しずつ剥がれていく感覚は、
不安と同時に、どこか軽さも伴っていた。
次が決まっていないことだけが、
はっきりしている状態。
私はこの時間を、
「まだ名前のない時間」
と呼んでいる。
空白ではない。
ただ、まだ名付けられていないだけの時間。

この時間にいると、
早く前に進まなければいけないような気がしてくる。
何かを始めて、
新しい名前を手に入れて、
安心したくなる。
けれど本当は、
すぐに名前をつけないこと自体が、
大切なのではないかと思うようになった。
人だけが、立ち止まっているわけではない。
お茶の実も、そうだ。
長いあいだ、特別な役割を与えられてこなかった。
名前を与えられないまま、
茶畑の隅で静かに実を結んでいた存在だ。
そう考えるようになってから、
私たちの茶ノ実油も、
ああいう時間の中から生まれたものだったのだと、
後になって気づいた。
名前がなくても、
時間は進む。
境目に立っている時間も、
確かに生活の一部として流れている。
急がなくていい。
決めなくていい。
まだ呼ばれなくてもいい。
名前がつく前の時間にも、
きちんと意味はある。

まだ名付けられていない時間も、
あなた様の時間です。
急がず、整えて、
そのまま、静かに。